私の仕事は本業は助産師だが夜勤は、救急外来に入る。夕方16時半から次の朝9時までです。
夜勤の日は出来るだけ何もしないで昼前まで寝ます。寝ないと16時間寝れないので有る。
長い長い一日、機会点検から始まり長い。4年前に外来に降りた。病棟の助産業務から離れるときは、つらくて胃痙攣が起こった。何のことはない。最初の1年は外来は妊婦検診保健指導楽しいのである。しかし、月3回の救急外来が嫌で行くたびに後、何時間、何回も何回も時計の針を見た。
朝9時が早く来てほしかった。
今はそうでもない4年立つと少しはなれました。
救急外来は教えられることが多い。
今までおめでとうの世界で仕事をしていたが、
救急外来は本当に、つらいこと悲しいことを目の前で見る。
生きること、人の命のはかなさ、家族の絆、一緒に泣いてしまうことも多い。
私たちは2次救急を担当する。
昨夜はベット満床、受け入れてもベットがない。処置をすれば、他の病院に転送しなければならない。交通外傷やインフルエンザ、心筋梗塞、いろいろ来たが、感染による多臓器不全ははじめての経験でした。
状態がこくこくと変化していく。
受け入れ先は3次救急しかない。
DRと一緒に3次救急病院への転送、朝5時、受け入れ先に緊張して行きました。
なにやら後ろから肩をたたく人がいます。先生私やで、、、と
振り返ると、教え子です。
私は32歳から37歳の5年間看護学校の教師をしていました。
そのときの教え子です。
クラスで1番のやんちゃ、私の手に負えないような子でしたが、凄く成長して、自信たっぷりにたっている姿に、夜勤の疲れも吹っ飛びました。
なにやら、私を見てと自信たっぷり、
看護学校時代のことがいろいろ思い出されました。
今となるといい経験をさせていただいたと感謝します。人はどんどん成長する。
それは我が子のように。。。
7 件のコメント:
HIROさんへ
すごいね、看護学校の教師経験もあるだなんて、なんてすごい人なのかしら、ビックリでおもしろいというより すごい。
救急外来とは・・・TVドラマで見るようなきれいなもんではないと思いますが、北海道の病院 まあ大学病院とかはしりませんが、わりと父親がお世話になえうので見てますが、 なんのこっちゃ・・という感じで見てました。今年も運ばれたとき うちの父一人なのに、たいしたこともないのな・・救急車受け入れ断るんですよ・・私は えっ、と思いました。こんなんで断るの?と TVとはまったく違うな~
生きるか死ぬかの患者でもないのに・・この父親の病状で、断りを言った時は・・病院のあり方に幻滅を感じたものでした、私もあまり夜中とか たいしたことがなければ利用したくないが 施設側であーだこーだと言うんで しょうがなく行くんですが、
施設も 何かあったら施設側の責任になると思うからだとは思いますが・・・おおかみ少年ではないが いつもくだらないことでも連絡してくるんで 今では着信あっても 又か・・・と思って のんきしてると・・これから病院行きます、だとか・・ちょっと冷や冷やしますが、たいした事はないんですよ・・・
最初なんか ふとんが汚れたんでクリーニングだしてもいいか、とか オムツがなくなったんで施設の使ってもいいのか、とか・・・仕事最中に着信あったら ビックリしましたが 今では又か・・でおおかみ少年のように 最後には何かあるでしょう(笑)
施設にもとても幻滅を感じてます、多額のお金ばかり請求されますわ・・・トホホ(涙zzz)けど 自分でもまったくみれるもんでもないしね・・・体が不自由なだけで内臓が丈夫なのも 困りますね・・・
エリカさんへ
私は子供が小さいころ夜勤が出来なくて、教師をしました。
あのころは、いろいろありました。実習室に犬が段ボウルに入れてあったんです。どうも犬を飼う場所がないらしく。こっそり生徒が犬を代わりばんごに自宅につれて帰り見ていたようです。結局困っているようなので、私が引き取って育てました。そのころ兄が不眠症でしたが、犬の面倒を見ることで、良く眠れるようになりました。犬は10年行きましたが、なくなりました。
生徒の結婚式にも何回か行きました。未だに年賀状をくれる子達がいます。
いろいろな悩みを抱えた子達。一杯かかわった子達ほどいつまでも、思い出があります。
今年虹彩円で目が見えなくなって近くの眼科に行きましたが、そのときも教え子がいて、先生どうしたん、込んでるからこちで待っとき、て親切にしてくれました。そこの先生もすぐに見てくれてこれは貴方の勤めてる病院で精密検査が必要だから紹介状買うからて、g
つづき(えりかさんへ)
紹介してもらいました。
毎日4時間おきのステロイドの点眼も今では1日2回です。
膠原病の一種らしいですが、日常には差し支えないです。
私ももう50歳凄く
救急外来でいると思う。頂いた命だから大切にしないとて、昨日の多臓器不全の患者さまは40歳になっていなかった。凄く若いのに
奥様が後で会いに来てくれましたが、ないてないて、なんと声をかけたらいい。のか、
本当につらかったです。
お互い今を頑張りましょう
悔いのないように。、
体にいいもの食べて、運動をして、
虹彩炎の間違いです。ごめんね。あわてもので、いつも読みかえさづに、コメント書くので変換ミスと誤字だらけです。
私の友達に叱られます。
子供たちに日本語ちゃんとしゃべれといわれますが(笑い)余り気にしないんです。
それで困る人いないでしょ。笑いをとるか、馬鹿にされるかですが、、(笑い)
HIROさん、看護学校の先生をされていたんですね。すごいですね~
もしK菜が看護師になったら教えてもらいたいぐらいです。
今日2人の懇談に行ってきました。K菜が行きたい学校は専門学校。月謝がお安いので競争倍率も高そうです。
でも彼女ならいけそうな気がします。賢くはないのですが粘りがあるので。知らないうちに子どもは成長していますね。
私はどうだろう。あまり成長はしていないかもです(笑)
りえっちさんへ
私は教師というより生徒さんと良く話をしたり、遊んだりしてました。
なので反面教師、皆が気安く話してくるんです。就学旅行の時は大勢で部屋にこられて、散々でした。夜中に起こされて、男女混合の露天風呂につれていかれたり、男の人が2人いましたが、大勢の若い女の子が入ってきたのですぐに逃げ去りましたよ。
しかし、資格試験の前は緊張しました。
今は思い出です。私の病院は実習病院なので学生が来ますが、昔のように厳しくすると、付いていけない人が多いので皆優しく指導します。
私は看護師に成り立てのころは、なきむしで
下。患者さんが亡くなると一人で寝れなくて先輩の部屋に布団を持っていって寝ました。
今は少し心臓に毛が生えたのか大丈夫です。
女の人は結婚すると女じゃなくなり母になると、言いますが本当に私も強くなりました。
りえっちさんもそうではないでしょうか。
色んなことを日々吸収して人は成長してる・
そして輪廻転生といいますが、
また、新しく生まれていくのかな
わかりませんが。娘さんはやさしい子なので人の気持ちを尊重した看護が出来ると思います。看護をしてきた中で、
相手を思いやる気持ちが大切だと学んだような気がします。
やはり大変な、お仕事ですね~~
余りお世話に成りたく無い所ですが、、人生色々有りますね、、
何より健康が一番なので、お体ご自愛下さいませ、(^^。
なかさんへ
ほんと健康のありがたさを感じます。
最近毎日寒くて歩くのが嫌なので
足台を使って足ふみを20分してます。
足が筋肉痛にしばらくなりましたが、
今は大丈夫、体鍛えていないといけない。
また、妊婦に体重が増えたらいけないと指導してるので、私も太らないよう頑張ってます。自分がしてないのに人に指導は出来ないよね
おやすみなさい。いつも見てくれて有難う。
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